日本人が見るべき映画『Fukushima 50(フクシマフィフティ)』の感想・レビュー。知るべき事実、語り継ぐべき勇気が忠実に描かれた作品(ネタバレなし)

作品レビュー
フリーランス猫
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吾輩はフリーランス猫である。仕事はまだ、それほどない。
この社会を自由に生きられる方法を拾い集めている真っ最中である。

今日は映画「Fukushima 50(フクシマフィフティ)」を見てきたので、その感想を書きたいと思います。

引用元:https://www.shochiku.co.jp/cinema/lineup/fukushima_50/

もう日本は終わってしまうのではないか…。あの巨大地震の日、私は東京の出版社への就職が決まり、その準備を九州・福岡で行っていました。テレビに映る信じがたい津波の映像。自分の将来のことなど頭から消えて、ただただ自然の力に恐怖し、絶望しか感じられませんでした。

しかし、人間に容赦がなかった自然の驚異は、後に人間の絆、勇気、あるべき姿を教えてくれることになりました。映画「Fukushima 50」はそんな絶望的な状況下で、戦うことをやめなかった人たちの、真実に基づく物語です。

限られた時間の中で、何を伝え、何を見せるか

☑あらすじ

観測史上最大の地震となった東日本大震災。想定外の津波に襲われた福島第一原発。
ブラックアウト、メルトダウン、東日本壊滅の危機が迫る中、発電所内に残り奮闘する人々を描く。

私はこの映画に、製作者側の「伝えるべきテーマと真摯に向き合おうとする熱意」を感じることができました。

☑東日本大震災

発生日時:2011年3月11日金曜日 14時46分
震源地:仙台市、東方約70kmの三陸沖
地震の規模:マグニチュード9.0 最大震度7
津波の高さ:9m以上

映画は余計な前置きなどはなく、冒頭すぐに巨大地震が発生するところから始まります。そこからは終始、文字通り暗闇の中での息苦しくなるような原発作業員たちの戦いが続くのです。私はこの構成に好感が持てました。

震災、命、という題材がそろえば「涙」の要素に困ることはありません。事実、あの震災を目の当たりにして、多くの人が涙枯れ果てるほどに泣いたことだと思います。被災者の方々の誰にスポットを当てても、起きた悲劇を物語にすればいわゆる「泣ける」話は作れるはずです。

映画「Fukushima 50」に、そのような要素が全くないわけではありません。きちんと感動できるシーンは用意されています。しかし、安っぽい「お涙頂戴」の場面を連発するようなことはありませんでした。

この映画の目的はあくまでも、国や家族や故郷を守るため、決死の覚悟で戦い抜いた原発作業員たちの様子を伝えること。

事実に基づき、起きたことを時系列できちんと観客に伝えたいという、テーマのブレない構成がよかったと思います。

批判を覚悟でエンターテイメント性を考える

事実に基づく映画とはいえ「Fukushima 50」はドキュメンタリーではありません。映画作品としてのエンターテイメント性は、どう批判を受けようとも求められるものです。多くの方々が亡くなられた震災を題材にして、その必要性を語ることは不謹慎と受け取られることもあるでしょう。

しかし、私は意味のあることだと思います。たとえ不謹慎でも、多くの人に最後まで見てもらえなければ、伝えたいことも伝わりません。こういった映画の宿命ともいえるでしょう。だから私も、映画の観客として、その点の感想を率直に書かせていただきます。

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俳優陣の演技力

まず、俳優陣たちの演技は見事だったと思います。この映画は基本的に、電源の落ちた原発内、閉鎖的な空間の中で物語が進みます。シーンの移り変わりがあまりあません。それでも、退屈したり、飽きたりすることはありませんでした。

結果を知っているノンフィクションであるにもかかわらず「この後どうなってしまうのだろう」と、ドキドキさせてくれたのは、俳優陣たちの演技の力だと思います。

一点だけ、アメリカ軍が登場するのですが、その演出に多少「取ってつけたよう」な違和感を抱いたところはありました。

しかし、渡辺謙さんや、佐藤浩市さんをはじめとする、メインの俳優陣たちの演技には、期待しても良いかと思います。

大掛かりなセットとCGが見どころ

事実に基づく映画に大切なことは、再現性のクオリティーをどこまで持っていくかだと思います。当然、再現性が高ければ高いほどリアリティーは増すはずです。ただ、この映画の題材である東日本大震災は、多くの人の心に深い傷を残している悲劇でもあります。

目を引くからといって、その部分を容赦なくエグるような見せ方をするのも、配慮が足らない作品になってしまうと思います。

今回の映画「Fukushima 50」はその点、とても良かったと思います。原発施設のセットに関しては、現場を知っている人も感心するほど、忠実に再現されていたようです。本当に原発内で撮っているかのようで、見ていてセットの違和感は全く感じませんでした。

冒頭の津波のシーンのCGも、とても良くできていたと思います。SF映画のように、無駄に大げさな迫力を見せつけようとする映像ではありません。静かに迫ってくる波の恐ろしさと、施設を飲み込んでいく抗いようのない自然の驚異が、きちんと表現されていました。

津波や大きく揺れる地震のシーンは基本的に冒頭のみです。また、実際は多くの死者を出した震災ですが、人が津波に飲み込まれていくようなシーンはありません。震災の凄まじさを伝えながらも、心に傷を持つ方々への配慮も感じられました。

物語の信憑性と悪役について

他の方々のレビューを見てみると「事実と異なる点がある」という評価もけっこうあります。私はジャーナリストではないので、その点について何が真実かを述べることはできません。

ただ、たしかに映画「Fukushima 50」は主人公側の人物たちと、悪役側と思える人物がかなり明確に分かれていました。ある程度、過剰に演出された部分があるだろうなという想像は付きます。しかし私は「ストーリーを分かりやすくするため」と、肯定的に受け止めています。

視点を切り替えて、今回悪役のポジションに当てられた人たちの側に立ってみれば、彼らにも彼らの正義があったのかもしれません。映画「Fukushima 50」の構図が一部にひっくり返ることだってあるでしょう。

しかし映画「Fukushima 50」は、誰が良くて誰が悪いのかを明らかにすることが目的の映画ではないと思います。

絶望的な状況の中でも使命感を持ち、現場を放棄せず、戦い続けた人たちがいた。

語り継ぐべきことはその点にあり、だからこそ「Fukushima 50」というタイトルの意味を持つ映画なのだと思います。

それからもうひとつ、この映画にはメッセージが込められています。その内容は映画のラストで語られます。ぜひ、ご覧になってみてください。

特別ではないヒーローたち

映画「Fukushima 50(フクシマフィフティ)」の作業員たちは、アベンジャーズのような特殊能力を持ったヒーローではありません。仕事を真面目にこなしてきた、ごく普通の人たちです。でも、彼らが日本を救ってくれました。

きっと原発内だけでなく、当時は数多くの語られないヒーローたちが存在したはずです。

消防士、警察官、自衛隊の方々ももちろんですが、医師や看護師、役所の人、避難バスの運転手、ボランティアの方々…上げだせばキリがないほど、それぞれの人が使命感を持って、東北や日本を守ってくれたのだろうと思います。

私が今、この国にいられること。仕事ができること。当たり前のことではなく、誰かのおかげなんだなと、映画を見て感じました。

感謝を忘れず、できれば私も誰かの役に立ちながら、明日からの毎日を大切に生きていきたいと思います。

フリーランス猫
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それでは、またナァ!

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