
吾輩はフリーランス猫である。仕事はまだ、それほどない。
この社会を自由に生きられる方法を拾い集めている真っ最中である。
今日は久々に心から面白いと思った本を紹介するナァ! それがこちら!
ナンナンはラジオが大好きです。そして、ラジオの帝王といえば伊集院光さん。昔からいつも大爆笑させていただいております。
そして、良い意味でのひねくれ感、世間を斜めに見ているようで、よく考えると的を得ている、というような深〜い考えを数々学ばせてくれる養老孟司先生。
この二人がタッグを組んだということで、ナンナンの中ではまさにドリームマッチ。大好物のちゅ〜るに、大好物のかつおぶしが大量にかかったような贅沢な本、という印象だったんですナァ。
さっそくレビューをしていくナ!
この本が面白いのはしょうがない
ナンナンは読書が大好きです。ところで、そもそも「なぜ本を読むことが面白いのか」ってことを考えてみたんだナァ。
それはきっと、物事に対する「思いもよらない見方や考え方」を学べるからだと思うのです。
たとえば目の前に魚があったとして、猫のナンナンはそれを食べ物としてしか認識しません。でも、人によっては鑑賞用かもしれないし、研究対象かもしれないのナ。
ひとつの物事を、自分が気づいていないいろいろな視点で見ることができる。それが読書の醍醐味のひとつだと思うのですナァ。
ということは、つまり
自分や誰かが気づいていないこと
↓
大多数の人や世間の常識とズレている
ということになりますナ。
そのズレこそが読書の醍醐味なのだとしたら、この本「世間とズレちゃうのはしょうがない」は物理的に、面白くて当たり前の本ってことになるわけナンですナァ!
読書の醍醐味
↓
新しい視点
↓
世間とのズレ
↓
この本
しょうがないって最強かも
さて、何を隠そうナンナンもけっこう世間からズレた生き物だと思うのですナ。
まず
猫のくせに
髪の毛があります。

その他にもいろいろな他人や他猫とのズレに悩んだこともありました。私は世間と違うのだろうか。今のままでいいのだろうか…。
こんなこと、皆さんも一度は考えたことがあるのではないでしょうか。
そのような悩みを肯定化するポジティブな本もたくさん売られています。一方で『世間とズレちゃうのはしょうがない』は、そのような自己啓発本とは全く違います。
世間とのズレに対して、二人が出す答えはタイトルどおり「しょうがない」ナンです。
でも、この「しょうがない」という考え方に、伊集院さんと養老孟司さんが思いも寄らない独特の持論を展開していくのです。
なぜしょうがないのか、どうしょうがないのか。それが分かったところでどうなるのか?
結果、しょうがない。
というのが、私がこの本を読んだ感想です。だからこそ気負いせず、ゲラゲラと笑いながら各エピソードを読みすすめることができました。
前向きに生きなきゃ! とか、ポジティブにならなきゃ! という、世間一般的な「ポジティブの正義」に疲れた人には、とくにオススメの一冊かもしれませんナ!
脳をマッサージされるような話
この本にはたくさんの魅力的な話が詰め込まれているのですが、そのうちのごく一部、ナンナンが印象的だった「幽霊」のお話を紹介しますナ。
養老先生は「幽霊はいる」と、断言します。その根拠が面白いのですナ。
この意見に真っ向から反論するならば「幽霊が実在する科学的根拠はない」という意見になるはずです。現実主義者との論争は延々平行線を辿ることになるでしょう。
でも養老先生の主張はそういうことではないのですナ。
たとえば夜中に「幽霊を見てしまった」と大慌てで逃げ出した男が、転んで足を骨折したとします。
だとしたらもう「幽霊はいるってことになる」と、主張するのです。
だって、現実に幽霊がいようといまいと、そのいるかいないか分からない幽霊が男の足を現に骨折させたわけです。
骨折の原因
↓
幽霊
幽霊がいないとしても、いない幽霊が男の足を骨折させた。それは幽霊がいるってこと。これに間違いはありません。
こんな考え方、ナンナンはしたことがなくて本当に面白いナァと思いました。
その他にも、これはぜひ読んでみてこの面白さを噛み締めてほしいんですけど「免許証の話」も、最高でした。
軽く触りを紹介すると、免許証って「本人確認」の代表格ですよね?
免許証でたくさんの人があらゆる手続きで「自分が本人であること」を違和感も抱かずに証明していると思います。でも、養老さんはこう思ったそうです。
「あれ? 俺は誰なんだろう?」と…。
生きて喋って意思を伝えられる紛れもない本人の存在は本人の証にはならない。
命を持って生きている本人より、カード1枚の方が本人を証明できる…。
この事実、さてあなたは、どう思いますかナ?
ナンナンはこの部分を読んで
「世の中のあらゆることは、こんなふうにいろいろな答えや矛盾があって、それに対して世間は、ただ常識的なふりをして曖昧さのバランスを取っているだけなのかも」
と、思ったりしました。
最高にネガティブでポジティブ
伊集院さんと養老さんは「死」についても語っています。
世間一般的には「死にたい…」って言葉を口にすると周りに心配されたり、おせっかいな人からは「そんなことを言ってはいけない」って注意されますよナ。
だけど、伊集院さんと養老さんが「死」という言葉を使うシーンで、ナンナンは最高にポジティブな印象を受けてしまいました。
その言葉、引用しますナ。こちらです。
「どうせ、死ぬんだから」(養老さん談)
死ってきっと誰もがこわいものだし、本当は死にたいだなんて思っていないはずなんです。
死はイヤなもの。だから死って、命ある限り決して消えることのない最高にネガティブな要素なんだと思うんですナ。
でも、見方を変えると「どうせ死ぬ」っていうのが最後の救いでもあったりして。
命にとってはネガティブな死も、失敗や嫌なこともたくさん起こる「生きる」ってことに関しては「どうせ死ぬ」が最高にポジティブな要素になるんですナ。
死という究極の恐怖が、究極の救いにもなる。
死の捉え方ですらこんなに簡単に変わるわけですから、その他のいろいろな事象において、世間とズレてしまうことにいちいち悩むことなんて、バカバカしくなってきます。
養老先生は戦前と戦後の教育の違いを目の当たりにしてきた人です。それを「ガラガラポン」と称して、世界がひっくり返った瞬間を本書の中でも説明してくれています。
読めば読むほど、ズレってしょうがないことナンだナァと思います。
養老先生と伊集院さん、二人の掛け合いからどう「どうせ死ぬ」に行き着くのかをぜひ読んでみてほしいんですナ。
いろんなことに飽きてきたらぜひ
いかがでしたか? 『世間とズレちゃうのはしょうがない』の、ほんの触りの部分を紹介させていただきました。
ズレって新鮮ですよね。だって、知っていたらそれはズレじゃないですもんナ。
自分の中にないものだから「君、ズレてるね」ってなるわけで。その時点で、相手にとっては私がズレているのかもしれませんナ。
だから、
なんかいろんなことに飽きてきたり、特に何か悲しいことや具体的な悩みがあるわけではないんだけど、漠然と気持ちが沈んでいるみたいな人に読んでほしい本だナァ
と、私は思いました。ナンナン風に言うと、そういう人にピッタリな「どこか気だるい新鮮な刺激」が、詰まっています。
おすすめですナ。

それでは、またナァ!